前に「本の雑誌」で「井伏鱒二は対談の名手だ」という内容を読んだ覚えがあって。対談もの好きの私としては、読んでみたいなと思っていた。
新潮社から出ている『井伏鱒二対談集』を図書館で借りられたので、最近読み始めた。

本の発刊自体は平成5年だが、対談は昭和44年〜昭和62年に行われたものがまとめられている。(ちなみに私は昭和62年生まれ。ギリギリ生まれた頃の対談もある。)
いちばん最初に掲載されている深沢七郎との対談を読み始めたら、深沢の次の言葉が心にひっかかった。
深沢 (中略)私は、家中みんな癌で死ぬのがいちばんいいと思って、期待しているわけですよね。先祖代々、親と同じ病気で、同じように死んでいくんだから、苦しくっても、まあこれくらい苦しいのだろう、あのくらい苦しいのだろうと思って死ねば、我慢できると思うのですよね。それで本望じゃないですか。先祖代々、こんなふうに痛かったんだ、こんなふうに苦しかったんだなと思えば。ところが狭心症なんて聞いたこともない病気をやっちゃったでしょう。こんな病気で死ぬのはいやだと思ったですね。同じ苦しむのでも、見当がつかない。癌だって見当がつかないのですけれども、先祖代々がこんなふうに苦しかったんだろうとか、こんなふうに痛かったんだろうと思って、それで過ぎちゃうと思うのですね。ーー『井伏鱒二対談集』(新潮社)より
この気持ちちょっとわかるな、というのと、でも実際私はどうだろう?と読みながら考えた。
年齢を重ねてアラフォーに近くなり、ここ数年親が老いていくのをきちんと見つめたいなと思っている。父親は脳梗塞をやって、認知症になって、数年前に亡くなっているので(死因は敗血症だと聞いている)、母親の老いをきちんと見つめたい、と。父の闘病中、ほとんど実家に帰れなかったという反省と、母に起こることはきっと私にも起こるんだろうから予習したいというような気持ちがある。
だから、先祖と同じ病気で死にたいっていうのはちょっとわかるなぁ。親もこうだったんだなぁって思えたら、つらさよりも経験を噛み締めるようなそんな気持ちになれる気がする。
一方で、父がかかった糖尿尿、脳梗塞、認知症…。う〜ん、かかりたくないなぁ、大変そうだったなぁ、周りもつらいなぁ。そりゃあ、まあ親の病気によるわな、なんてことを思いながら、対談集を読み進めている。
井伏鱒二の対談の名手ぶりは、まだわからないなぁ。面白く読んでいますがね。
